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啓明学院中学校
啓明学院中学校の情報は中学受験わかばナビ啓明学院中学校の基本情報
- 住所: 〒654-0131 神戸市須磨区横尾9-5-1
- TEL: 078-741-1501
- アクセス:
神戸市営地下鉄「妙法寺駅」より約12分、市バス「地下鉄妙法寺駅前」より徒歩3分
- 生徒数: 約490名 教員数: 65名
- HP: http://www.keimei.ed.jp/
- 参考偏差値: こちら
初年度に掛かる経費 | |
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授業料 | 355,000円 |
入学金 | 300,000円 |
諸経費 | 377,000円 |
初年度必要金額 | 約1,032,000円 |
最新情報 |
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・進路状況 こちら
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備 考 |
■英語
■募集 ・高校募集: 80名(男女ほぼ同数) ・内部進学条件:
■併設学校 |
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併設高校の大学合格実績 上位校 |
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関西学院大学(併設大)、京都大、神戸大、神戸薬科大 など ※殆どが併設大学に進学している |
建学の精神
・本校は「キリスト教」を建学の精神としています。
・スクールモットー
Hands and Hearts are trained to serve both Man below and god above.
(手と心は神と人とに仕えるために鍛えられる)
The Business of Life is Service.
(人生の本分は人に仕えることです。)
Consideration for Others
(他者への思いやり)
・ 2009年度年間テーマ
God be our vision
・
2009年度年間テーマ聖句
『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。』
新約聖書 テサロニケの信徒への手紙一 5章16〜18節
。
沿 革
・蒔かれた種(1886年〜1922年)
1886年、中国での医療伝道を終えた南メソジスト教会牧師J・W・ランバスは、息子のW・R・ランバス夫妻の働きを助けるために共に日本に派遣されました。J・W・ランバスは現在の南美以美神戸教会(現在の神戸栄光教会)の牧師として就任し、神戸を拠点に宣教と牧会に力を注ぎました。そして自宅を開放した読書館は、キリスト教を学び、英語の習得を志す多くの若者が集まるようになり、パルモア学院として建学されてました。(「パルモア」とはこの読書館へ、長年書物と100ドルを送りつづけれたミズリー州スプリングフィールドのW・B・パルモアの名からつけられています。)その後J・W・ランバスは広島女学院の創設に大きく関わり、W・R・ランバスは男子の学校として関西学院を創設しました。またJ・W・ランバスの妻メアリーは二人の活躍を支えながら自らも現在の聖和大学の創設に関わりました。
黎明期(1923年〜1940年)
男子校であったパルモア学院に1914年始めての女子生徒が入学して以来、女子の入学希望者が殺到しました。このため南メソジスト教会伝道局婦人部へ日本での女子の学校設立の積極的な働きかけがなされるようになります。やがて婦人のための学校をつくる計画がメソジスト教会の年会でも可決され、パルモア学院から女子の学校が独立する形で計画が進みました。ついに1923年C.G.ハランド先生を初代院長としてパルモア学院女子部の名前で実現したのです。
そして2年後の1925年、パルモア女子英学院(Palmore Women's English Institute)と名称を変更、名実共に独立した学校となりました。
しかし日本の軍国主義化が進む中、校名変更を余儀なくされ、1940年校名を日本名の「啓明女学院」と改称しました。「啓明」とは明けの明星、金星を意味し、学院とここで学ぶ生徒一人ひとりが薄明の中に輝く星のように「この世の光(マタイ5:14)」なってほしいとの願いが込められています。そしてこの年より院長はハランド先生から窪田学蔵先生に引き継がれ、1941年ハランド先生は神戸港より帰国の途につきました。
戦時苦難時代(1941年〜1946年)
校名変更以来、日本の軍国化はさらに進み、ハランド先生のみならず、当時教鞭を執っていた外国人教師たちも次々と帰国していくこととなりました。また、学院の設立団体であったメソジスト教会も1940年に創立された教派合同の「日本キリスト教団」に所属することとなり、必然的に外国ミッションとの関係は断ち切られることとなってしまいました。
米国ミッションの援助から独立し、自給経営を余儀なくされてきましたが、その道は多難を極めました。さらに1941年米国との開戦に伴い、教職員・生徒らの生活も苦難を増していきました。とりわけ1945年3月16日の神戸空襲、6月5日の神戸大空襲による学院生徒・家族への被害は甚大なものがありました。
新制期・南北校舎時代(1947年〜1982年)
空襲により焼け野原になった神戸の街にあって、奇跡的にも創立以来の旧校舎は無事残りました。1947年新憲法のもと教育基本法が成立し、新学制のもと本校も新制中学を開設、続く1948年には新制高等学校の認可を得ることとなり、戦後体制の下、学院は新しいスタートを切ることこととなりました。
1961年になると戦後ベビーブームの波が押し寄せ、本校も中山手の校舎だけでは手狭になったため阪急三宮駅近くに校舎を増設し南北に分かれた校舎を持つに至りました。この時、啓明女学院は中学生461名、高校生554名、合計1015名と在校生1000人を超える学校となってゆきました。
新校舎移転(1983年〜2001年)
創立60周年を迎える1983年、三宮を離れ神戸市須磨区横尾へ移転を行い現在に至ります。新校舎設計は一粒社ヴォーリス建築設計事務所により、旧校舎以来の面影を色濃く残すスパニッシュスタイルのものとなりました。この年、この新校舎は神戸市設計大賞を受賞しました。現在緑深い横尾山のふもとに建てられたこの新校舎は、新しい須磨区のシンボルのひとつとなりました。地元神戸に甚大な被害をもたらした1995年の阪神・淡路大震災では校舎は若干の被害を受けるに留まりましたが、在校生一人の犠牲者を出したことは今なお大きな悲しみであります。
1998年には関西学院・広島女学院・聖和大学/短大・パルモア学院とランバス関係学校は協定を結び、5校は提携校となりました。特に関西学院には今までにもまして多くの卒業生が進学するようになり、ますますその結びつきは強いものとなっていきました。
啓明学院へ(2002年〜)
2002年、関西学院大学まで中・高・大十年一貫教育を行なう共学の「啓明学院中学校」が発足しました。そして2005年には法人名も「啓明学院」と改め、共学部と女子部からなる「啓明学院高等学校」がスタートしました。多難な時代をのりこえ、学院が今日の発展に至るには、神様の支えと導きとともに、多くの先輩達の祈りや働きがあったことをおぼえて、感謝の気持ちを持ち続けて行きたいものです。
教育の特色
○教育について
本を読め、友と交われ、汗をかけ!
関西学院大学まで男女共学の10年一貫教育を行います。
あなたの豊かな人生を拓く人間力の育成
鍛錬による基礎学力、基礎力の体得、友情の形成、自発性に基づく夢の実現に向けて
◆啓明学院の五つの柱
1.人間教育
キリスト教主義教育に基づく愛と希望
2.読書教育
スタディ・スキルを身につけ知の探求者をめざす
3.英語教育
グローバル・スタンダードにおける基礎学力
4.保健体育教育
人生の楽しさと生ききる基礎力
5.芸術教育
人生の豊かさ、感動とインスピレーション
○その他特色
土曜講座あり
教養講座・英検講座・理数系講座・芸術講座・中学講座・中学1年生講座(必修
)
特徴 |
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・月曜日から金曜日は必修授業5日制採用。 ・土曜日は、年間16回のサタディカレッジとして「選択講座・自由研究」 ただし、中1のみ情報基礎必修(関西学院大学情報メディアセンターにて) |
啓明学院中学校 トピック
- 「かけあし」が日課となっている
- 施設が充実
- 特待生制度なし
- ソフトテニス部:高校総体出場、 ヨット部:ユースセーリングカップ準優勝、 アメリカンフットボール:全国大会出場
代表的な行事・修学旅行 |
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前島オリエンテーションキャンプ(中1) トライやるウィーク(中3) 青島無人島キャンプ(中2) クリスマス礼拝 など |
学校からのメッセージ |
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受験生は、事前に志望校を訪問し、学校見学をし、自ら校風を感じ、自らの意志で受験校を選択すべきでしょう。 |
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