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合格祈願 神社紹介(首都圏)    中学受験わかばナビ

 

合格祈願 神社紹介(首都圏)


関西編はこちら


 東京

湯島天神 (東京都文京区)
住所・ 電話

〒113-0034  東京都文京区湯島3-30-1
TEL 03-3836-0753 FAX 03-3836-0694

HP  http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/index.htm
アクセス

東京メトロ 湯島駅 徒歩2分
東京メトロ 上野広小路駅 徒歩5分
JR 御徒町駅 徒歩8分など

詳しくはこちら  http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/access/map/f_map.htm

お守り

合格祈願700円〜、学業成就鉛筆1ダース600円、他

お守り他  http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/kigan/jyuyohin.htm

祈祷

学業成就・合格祈願 (3千円〜)

御祭神 天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)
紹介

湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷の内五石の朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。
その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。 明治五年(1872)十月には郷社に列し、ついで同十八年(1885)八月府社に昇格した。 明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当った。 元禄十六年(1703)の火災で全焼したので、宝永元年(1704)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。 明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。

 

 

富岡八幡宮 (東京都江東区)
住所・ 電話

〒135-0047 東京都江東区富岡 1-20-3
TEL 03-3642-1315

HP  http://www.tomiokahachimangu.or.jp/
アクセス

地下鉄東西線 「門前仲町」駅より徒歩3分
都営地下鉄大江戸線「門前仲町」駅より徒歩6分
JR京葉線「越中島駅」駅より徒歩15分
JR 「東京」駅より車で15分

詳しくはこちら http://www.tomiokahachimangu.or.jp/htmls/kotu.html

お守り

お札200円〜 

学業成就のお守り 800円 

受験の合格を祈願したお守り 800円 

必勝を祈願したお守り 800円 

八幡太郎義家が描かれた合格祈願の絵馬 大1,500円  小800円

お守り他 http://www.tomiokahachimangu.or.jp/omamori/html/main.html

祈祷

合格祈願 初穂料 個人 5千円より

御祭神 応神天皇(誉田別命) 外8柱
紹介

富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建されました。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得たのです。世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。

 江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を殊の外尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に御治定になり、勅使を遣わされ幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念されました。

 また、庶民の信仰は江戸の昔から大きな歴史の変転を経て現代に至まで変わることなく篤く受け継がれ、今も善男善女の参拝は絶えず、特に毎月1日、15日、28日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せています。

 

 

 

松陰神社 (東京都世田谷区)
住所・ 電話

〒154-0023 東京都世田谷区若林4-35-1

TEL 03-3421-4834

HP  http://www.shoinjinja.org/jp/
アクセス

東急田園都市線三軒茶屋駅・ 京王線下高井戸駅・小田急線豪徳寺駅 から

東急世田谷線へ乗り換え。松陰神社前駅下車

詳しくはこちらhttp://www.shoinjinja.org/jp/ アクセスへ

お守り

受験や就職などの方に授与している御守り  800円

勉学成就を祈願した御守り  800円

松陰先生のお言葉などが書かれた合格成就の祈願をした鉛筆

(HB 3本/組) 300円
他にも合格祈願お守りセットなどあり

祈祷

初穂料 5,000円〜

御祭神 吉田松陰(吉田寅次郎藤原矩方命)
紹介

松陰先生は安政6年10月27日、安政の大獄に連座し江戸伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死されました。その4年後の文久3年、松陰先生の門下生であった高杉晋作、伊藤博文、等によってこの世田谷若林の地に改葬されました。神社所在地一帯は江戸時代から長州毛利藩藩主毛利大膳大夫の別邸のあったところで大夫山と呼ばれていたそうです。

明治15年11月松陰先生門下の人々が相謀り、墓畔に社を築いて先生の御霊を祀り忠魂の鎮座するところとなりました。今日の社殿は昭和2年から3年にかけて造営されたものです。近年は学問の神として崇敬を集め参拝者は全国各地に及んでいます。

 

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亀戸天神社 (東京都江東区)
住所・ 電話

〒136-0071
東京都江東区亀戸3丁目6番1号
TEL : 03-3681-0010
FAX : 03-3638-0025

HP  http://www.kameidotenjin.or.jp/
アクセス

総武線亀戸駅下車 北口より徒歩15分
総武線、地下鉄半蔵門線錦糸町駅下車 北口より徒歩15分
都バス亀戸天神前下車すぐ

詳しくはこちら http://www.kameidotenjin.or.jp/access/index.html

お守り

学業御守500円。このお守りは葉書付きで、受験する学校と受験日を記入して送ると、合格祈願をして頂ける。

カラフルな学業成就鉛筆など。

祈祷

入学試験、幼稚園、小中高校、大学などの志望校への合格祈願 祈願料5000円から

御祭神 天満大神(菅原道真公すがわらみちざねこう) 天菩日命(菅原家の祖神)
紹介

亀戸天神社は、下町の天神さまとして広く知れわたり、多くの方々に親しまれております。
古くはご本社にあたります九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と称されておりましたが、明治6年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と正称いたしました。

正保三年(1646)九州太宰府天満宮の神官でありました菅原大鳥居信祐公(道真公の末裔・亀戸天神社初代別当)は神のお告げにより、公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって、遠くは日光または盛岡などの諸国を巡り歩かれ 、そして江戸の本所亀戸村にたどり着かれ、村に元々ありました天神 の小さなほこらにご神像をお祀りいたしました。
当時徳川幕府は、本所の町を、江戸の大半を焼き尽くした明暦大火の被害による復興開発事業の土地とさだめ、天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱公はその鎮守の神様としてお祀りするように現在の社地を寄進されました。
そして、寛文二年(1662)10月25日に太宰府の社にならい、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを営み、以来約350年後の今日まで東国天満宮の宗社として崇敬されてきました。

 

 

 

飛不動尊 正 宝 院 (東京都台東区)
住所・ 電話

〒110-0012 東京都台東区竜泉3丁目11番11号
TEL03-3872-3311 FAX03-3871-2233

HP  http://tobifudo.jp/
アクセス

地下鉄 日比谷線 三ノ輪駅下車徒歩約10分

都営バス 竜泉下車 徒歩3分 都08 日暮里駅前−竜泉−押上−錦糸町駅前
JR山手線 日暮里駅より錦糸町駅前ゆきバス
東武 浅草駅より日暮里駅前ゆきバス
    草43 足立区役所−三ノ輪駅−竜泉−浅草雷門
    草63 池袋駅東口−巣鴨駅−竜泉−浅草雷門

詳しくは http://tobifudo.jp/infome/map.html

お守り

飛行護 ひこうまもり (落ちないまもり) 各1体 600円

祈祷

1祈願 3,000円以上

御祭神 本山派修験僧の正山上人
紹介

近年航空機の発達と空飛ぶお不動さまとが結びつき、現在では航空関係に携わ人々や、旅行される多くの人が、航空安全と道中安泰を願い参拝されます。

当寺では飛不動尊の由来から、空の交通安全と道中安泰を特に祈願した飛行護を授与しております。また航空安全はすなわち”落ちない”と言う事で、受験合格のご祈願でお参りされる方々もおられます。

 

 

 

大本山成田山新勝寺別院 深川不動堂 (東京都江東区)
住所・ 電話

〒135-0047

東京都江東区富岡1-17-13

電話 03-3641-8288 FAX  03-3641-8289

御護摩申込専用電話
03-3630-7020

HP  http://www.fukagawafudou.gr.jp/
アクセス

地下鉄門前仲町駅下車 1番出口より1分

お守り

懐中札3000円から

祈祷

各願意(お願いごと)5000円〜

御祭神 不道明王
紹介

江戸時代、中でも元禄年間は江戸市民を中心として不動尊信仰が急激に広まっていった。この背景には、経済・商業の中心地としての江戸、またそれを支える町人の経済力の飛躍的な増大が大きな原動力になっていた。
  このような元禄の町人文化が華々しく開花した時期に、成田山新勝寺は信徒数も増え、また寺格も格式の高い本山へと大きく発展していく。
  同じ時期江戸町人を中心に成田山のご本尊、不動明王を江戸で参拝したい、という気運が高まって、ついに1703年(元禄16年)4月にはじめて江戸でのご本尊の出張開帳(江戸出開帳)が行なわれた。当時は犬公方と知られる五代将軍綱吉の世で、その母桂昌院が成田山の不動明王を江戸で参拝したいと言い出して、それが実現したという説もある。
  成田山出発の総勢は300人を超える行列が組まれ、江戸まで1週間余りかけてご本尊が運ばれたといわれる。2ヶ月にわたるご開帳は、江戸市民に大きな人気を博したが、この開帳の場所が深川永代寺境内で現在の深川不動堂付近であり、これが深川不動堂の起りである。
  明治に入って神仏分離令によって、永代寺は廃寺になり境内は深川公園になった。明治2年に現在の地に「深川不動堂」の正式名称が認められ、14年には本堂が完成する。
  関東大震災・第二次世界大戦と2回にわたって本堂が焼失したが、ご本尊は奇しくも焼失を免れた。
  昭和26年に当時千葉県印旛沼のほとりに建っていた龍腹寺(1862年・文久2年建立)を深川に移築して本堂が復興したが、この時の建物が現在の本堂になっている。
しかし、江東区最古の木造建築のため痛みが激しく、平成4年の興教大師850年御遠忌を記念して平成の大改修を行い、諸伽藍も一新され平成3年9月に平成大改修落慶法要が盛大に行なわれた。

 

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神田明神 (東京都千代田区)
住所・ 電話

〒101-0021 東京都千代田区外神田2-16-2
電話:03-3254-0753 FAX:03-3255-8875

HP  http://www.kandamyoujin.or.jp/top.html
アクセス

JR御茶ノ水駅(聖橋口)より徒歩5分  JR 秋葉原駅(電気街口)より徒歩7分

東京メトロ丸ノ内線 御茶ノ水駅(聖橋口)より 徒歩5分
千代田線 新御茶ノ水駅(聖橋口)より徒歩5分  銀座線 末広町駅 より徒歩5分
日比谷線 秋葉原駅 より徒歩7分     都バス 茶51駒込駅南口←→御茶ノ水線 神田明神 徒歩1分

詳しくは http://www.kandamyoujin.or.jp/map.html

お守り

勝守(かちまもり)徳川家康公が関が原の合戦に当社の勝守を授かり勝利を得たことにより、縁起の守りとされる

祈祷

初穂料5000円から

御祭神

一之宮 大己貴命(おおなむちのみこと)

二之宮 少彦名命(すくなひこなのみこと)

三之宮 平将門命(たいらのまさかどのみこと)

紹介

社伝によると、当社は天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。
その後、天慶の乱で活躍された平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、それが将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶2年(1309)当社に奉祀いたしました。戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。
慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、当社では徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ないました。すると、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。

江戸幕府が開かれると、当社は幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営されました。以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで篤い崇敬をお受けになられました。

明治時代に入り、社名を神田明神から神田神社に改称し、東京の守護神として「准勅祭社」「東京府社」に定められました。明治7年(1874)には、はじめて東京に皇居をお定めになられた明治天皇が親しく御参拝になり御幣物を献じられました。

 

正式名称・神田神社。
東京の中心―神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、築地魚市場―、108町会の総氏神様です。「明神さま」の名で親しまれている。


 

 

 

矢保天満宮 (東京都国立市)
住所・ 電話

〒186-0011 東京都国立市谷保5209
電話:042-576-5123

HP  http://www.yabotenmangu.or.jp/
アクセス

【鉄道】南武線谷保駅 徒歩3分

     中央線国立駅 バス10分


【車】中央高速道「国立府中インター」3分

詳しくは http://www.yabotenmangu.or.jp/access.html

お守り
受験生に合格お守り 初穂料 500円  御神筆1本付
生芽(うめ)の矢 初穂料 大2,000円 小 1,000円 除災招福・諸祈願達成の矢(初詣のみ)

学業絵馬セット 初穂料 1,000円  絵馬、お札、御神筆2本付

合格御礼絵馬 初穂料 500円
祈祷

金額は神社にお問い合わせください

御祭神 菅原道真公・菅原道武公
紹介

『天満宮略縁記』(谷保天満宮蔵)によれば、昌泰4年(901年)右大臣菅原道真公筑紫太宰府に左降の折に、第3子道武公は武蔵国多摩郡分倍庄栗原郷(現在の国立市谷保)に配流せられた。延喜3年(903年)2月、菅原道真薨去の報を受けた道武公が像を刻み鎮座したのが起りとされる。道武公もまた、延喜21年(921年)、その薨去とともに合祀された。
建治3年(1277年)、後宇多天皇の勅により藤原経朝書「天満宮」の額文が納められる。また後年、道真公子孫の津戸為守(つのとためのり)が現在地に神殿を移し、太宰府に模して梅香山安楽寺を興し、 社務六院を置き祀典を司どった。このころ作られたと思われる木造獅子狛犬は、鎌倉時代を技法を駆使した特徴的な作例として、前出の額文とともに、国の重要文化財に指定されている。
本殿は寛永2年(1749年)、拝殿は江戸末期造営とされ、こちらは双方共に市の指定有形文化財だ。
明治18年には府社に昇格。東日本における天満宮としては最も古く、湯島天神、亀戸天神とならび関東三天神と称される。

道真公といえば、言わずと知れた学問の神様。参拝して筆を買うとご利益があるという。除災招福・諸祈願達成の矢「生芽(うめ)の矢」は正月のみの授与品となっている。合格定員と同じく数に限りがあるので、お早めにお求めを。

 

 

 

布多天神社 (東京都調布市)
住所・ 電話

〒182-0021 東京都調布市調布ヶ丘1-8-1

電話042-489-0022

FAX042-489-0237

HP  http://www.fudatenjin.or.jp/
アクセス

京王線・調布駅北口下車 徒歩5分 

詳しくは http://www.fudatenjin.or.jp/map/index.html

お守り

・学業守 ・合格守 ・勝守 など

祈祷

金額は神社にお問い合わせください

御祭神 ・少彦名神(すくなひこなのかみ) ・菅原道真(すがわらのみちざね
紹介

布多天神社の歴史は古く、創建は定かではないが紀元前から続く多摩地域でも有数の古社と云われています。
「延喜式(927年制定)」にもその布多天神の名は記載され、社伝によると、起源は垂仁(すいにん)天皇の時代に遡ると云われます。
布多天神は学問の神様と知れられ「大学受験の合格祈願」などで人気の多摩地域有数の古社なのです。

鳥居をくぐり、本殿に向う右側に大きな牛の像が安置されています。
この大きな牛の像が有名な「布多天神社御神牛」です。

 

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品川神社 (東京都品川区)
住所・ 電話

〒140-0001東京都品川区北品川3-7-15
・電話番号:03-3474-5575

HP  http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/09_shinagawa/9001.html
アクセス

東京モノレール「天王洲アイル駅」下車 ⇒南口から徒約歩6分
・京浜急行「新馬場駅」下車 ⇒北口から徒歩約1分

お守り

 

祈祷

 

御祭神 天比理乃ロ羊命 ⇒あめのひりのめのみこと
宇賀之売命  ⇒うかのめのみこと
素盞鳴尊   ⇒すさのおのみこと
紹介

後鳥羽天皇の御世、文治三年(1187年)に、源頼朝が海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である、天比理乃ロ羊命(あめのひりのめのみこと)を勧請して、品川大明神と称し、今は社名を品川神社と改めた。

・天比理乃ロ羊命 ⇒あめのひりのめのみこと
合格祈願のご利益や、祈願成就、航海安全をお守りくださる神さまで天太玉命(あめのふとだまのみこと)の妻にあたる后神(きさきがみ)
・宇賀之売命  ⇒うかのめのみこと
「お稲荷さん」と親称される神様です。
二階堂道蘊(にかいどうどううん)の勧請とされており、農業や、商業、産業振興のご利益で知られ、繁栄をお守りされるご神徳です。
・素盞鳴尊   ⇒すさのおのみこと
天王(てんのう)さまとしても親しまれる神様です。
太田道灌(おおたどうかん)の勧請と伝承されています。

 

 

 

新田神社 (東京都大田区)
住所・ 電話

東京都大田区矢口1-21-23
03-3758-1397

HP  http://www.nittajinja.org/top.html
アクセス

東急多摩川線武蔵新田駅より徒歩3分

詳しくはこちら http://www.nittajinja.org/doc/map/index.html

お守り

 

祈祷

直接お問い合わせください

御祭神 新田義興公(にったよしおきこう)
紹介

新田義貞の次男の新田義興を祭神として祀り、父・義貞戦死後も新田一族を率いて南朝方の武将として忠義を尽くしたが、正平13年(1358年)謀略により、多摩川矢口の渡で自害。その後、夜な夜な「光り物」が現れ、 往来の人を悩ませたので義興の怨霊を鎮める為に墓の前に社殿を建て、新田大明神として祀ったのが創祀といわれている。
江戸期には徳川家が新田氏を出身としたことから厚い庇護を受けたという。
本殿は明治神宮旧本殿をそのまま移築復元したもので、社殿の後にある円墳は「御塚」と呼ばれ、義興の遺骸を埋めた墓だといわれている。
境内には怨霊伝説を伝えるものが多数あり、事件の説明文と史跡の案内図も掲示されている。

 

 

 

小野照崎神社 (東京都台東区)
住所・ 電話

東京都台東区下谷2-13-14
03-3872-5514

HP  
アクセス

日比谷線「入谷」北口3番出口 徒歩3分
JR線「鶯谷」 徒歩6分

お守り

 

祈祷

直接お問い合わせください

御祭神 小野篁命(おののたかむら)
菅原道真命(すがわらみちざね)
紹介

小野 篁公が御東下の際に上野照崎の地に安らぎを得て、居を構え、里人たちを親しく教育して上野殿と尊称され、御遺跡を留められたことから、篁公がご逝去された仁寿二年(852年)に地元の人々が渇仰して、小野照ア大明神と祀ったのが起源とされています。 
江戸時代に上野寛永寺を建立する為に、幕府から 兼務していた坂本村の長左衛門稲荷神社(現在の鎮座地)に移るよう下命があり、遷祀されました。
  江戸末期に回向院より御配神である菅原道真命御手刻の尊像を遷祀し、江戸二十五社天神の一つとして尊崇されています。

テレビでもパワースポットと紹介され、たとえば渥美清さんが、仕事が全然ない時に小野照崎神社にお参りをして願掛けした後、家に帰ると、「男はつらいよ」の主役をやらないか、という電話が来た、との話があります。

 

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武蔵御嶽神社 (東京都青梅市)
住所・ 電話

〒198-0175 東京都青梅市御岳山176番地 
Tel 0428(78)8500 Fax 0428(78)9741

HP http://musashimitakejinja.jp/
アクセス

JR青梅線「御嶽駅」 西東京バス10分 ケーブル下
ケーブルカー(所要時間6分) ケーブル山頂駅 徒歩30分

お守り

神札・御守り・絵馬あり

祈祷

直接お問い合わせください

御祭神 櫛真智命
紹介

御岳山頂にあり、関東有数の霊場として崇敬されている武蔵御嶽神社。紀元前90年、崇神天皇の時代に創建されたと伝わる古社です。
江戸時代に は農耕の神様として広く信仰され、連日満員だった宿坊は、現在でも宿泊可能です。
神社の宝物殿には、畠山重忠が奉納した赤糸縅大鎧(国宝)や武将達の鎧、大刀などが展示されています。

 

 

 

明治神宮 (東京都渋谷区)
住所・ 電話

〒151−8557 
東京都渋谷区代々木神園町1-1
電話:03−3379−5511(代表)
ファックス:03−3379−5519

HP  http://www.meijijingu.or.jp/
アクセス

JR山手線「原宿」駅「代々木」駅
小田急線「参宮橋」駅
東京メトロ千代田線・ 副都心線
「明治神宮前」駅
都営地下鉄大江戸線「代々木」駅
東京メトロ副都心線「北参道」駅

詳しくは http://www.meijijingu.or.jp/access/index.html

お守り

学業守 学業成就守 合格成就守 など

祈祷

5000円〜 ※ 1万円より祈願神符(お札)が大きくなり、お名前が入ります。

御祭神 明治天皇
昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)
紹介

明治天皇は明治45年(1912)7月30日、61才で崩御。
自身が『うつせみの代々木の里はしづかにて都のほかのここちこそすれ』と詠んだゆかりの現在地に、1915年から6年間で延べ15万人をかけて社殿を造営したといわれている。
70万uの境内には365種17万本の樹木があり、都心でありながらも鳥の楽園となっている。
社殿は昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失し、昭和33 年(1958)に再建された。

 

 

 

穴澤天神社 (東京都稲城市)
住所・ 電話

〒206-0812 東京都稲城市矢野口3292

042-377-0055

HP  
アクセス

最寄駅 京王よみうりランド

お守り

「梅鉢」「三つ巴」付きの合格お守りあり

祈祷

直接おといあわせください

御祭神 少彦名命、大己貴命、  菅原道真公
紹介

神社の創建は紀元前423年(孝安天皇4年3月)とされ、悠々と流れる三沢川沿いの多摩丘陵中腹に鎮座しています。

東京の「名湧水57選」に選ばれた湧水が境内崖下の洞窟の祠から湧き出ており、この水を汲みに来る参拝客もが絶えることがありません。

境内には、漢学者窪全亮(稲城の地名を命名)の私塾「奚疑塾」の功績を称えた顕彰碑が建立され、これらからも穴澤天神社が受験や合格祈願に、縁のある神社であることがわかります。。

 

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 神奈川

荏柄天神社 (神奈川県鎌倉市)
住所・ 電話

〒248−0002 神奈川県鎌倉市二階堂74

・電話:0467−25−1772
・FAX 0467−25−1798

HP  http://www1.kamakuranet.ne.jp/egara/
アクセス

・JR鎌倉駅
京急バス4番線「大塔宮」行 ⇒「天神前」下車約3分程です。
(自動車利用の場合)
・横横道路朝比奈インターより ⇒約10分程です。

詳しくは http://www1.kamakuranet.ne.jp/egara/koutuu%20akusesu.htm

お守り

合格や、学業成就のお守りは「守袋」「梅守」の2種類が用意され、他にも「学業成就祈願鉛筆」「祈願絵馬」「祈願はちまき」など。

祈祷

大変に好評の受験当日早朝祈願は、入試が行われる当日の早朝より神職により合格祈願が執り行われます。

御祭神 菅原道真
紹介

古くは荏柄山天満宮とも称された当社の縁起は、
『長治元年(1104年)晴天の空、俄かにかき雲り、雷鳴が轟く激しい雨とともに黒束帯姿「天神画像」天降り、神験を畏れた里人らは社(やしろ)を建て、その画像を納め奉祀する』と伝承されます。  
「太宰府天満宮(福岡)」「北野天満宮(京都)」と共に三天神社と称され、関東を中心に各地に分社をもつ古来からの名社:荏柄天神社です。  
鎌倉幕府を開いた源頼朝公を始め、足利、北条、豊臣、徳川の各氏に崇敬され近世にいたっています。
荏柄天神社(鎌倉)の現在は、「学問の神」「正直者」「努力を重ねる者」を守り助ける神さまとして、受験生のみならず多くの人々の信仰を集め、参拝客で境内井は賑わい、「祈願」「お礼」の絵馬で社殿はいつも覆われている状態です。

 

 

 

前鳥神社(神奈川県平塚市)
住所・ 電話

〒254-0014 神奈川県平塚市四之宮4-14-26 

電話:0463(55)1195 FAX:0463(55)1370

HP  http://www.sakitori.jp/2.html
アクセス

(電車利用)
・平塚駅より、バス「本厚木駅南口行」「大神工業団地行」「田村車庫行」を利用 

⇒「前鳥神社前」下車 ⇒徒歩約3分
・小田急「本厚木駅」より、バス「平塚駅行」⇒前鳥神社前」下車
⇒徒歩約3分
(車利用)
東名高速道路「厚木インター」⇒平塚方面へ約15分

詳しくは http://www.sakitori.jp/9.html

お守り

■合格祈願ダルマ■受験合格守■学業成就守り■学業向上守り■学業絵馬

祈祷

1件5,000円より

御祭神 菟道稚郎子尊(うぢのわきいらつこのみこと)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
日本武尊命(やまとたけるのみこと)
紹介

受験お守り、合格祈願の神社として知られ、神奈川県内でも有数の学問の神さまです。横浜からも便利で、初詣にも多くの受験生が参拝に訪れています。御祭神さまは、特に学問の神さまとして崇敬され、司法試験、就職合格、高校入試や大学受験、資格取得などの合格祈願に全国から受験生が訪れます。

 

 

 

 

報徳二宮神社 (神奈川県小田原市)
住所・ 電話

〒250-0014 神奈川県小田原市城内8-10(小田原城址公園内)
電話0465-22-2250

HP  http://www.ninomiya.or.jp/
アクセス

「小田原駅東口」より徒歩15分

お守り

■合格祈願箸 ■合格(五画)鉛筆(えんぴつ) ■合格守 ■学業成就守 ■その他  合格はちまき・絵馬など

祈祷

5000円より

御祭神 二宮尊徳
紹介

二宮金次郎と云えば日本人なら誰でも知っている人物ではないでしょうか?
薪を担ぎながら、労働の傍らでも本を読んでいる少年時代の姿を模した金次郎像は馴染み深いと思います。

二宮金次郎は働きながら刻苦勉励、成人すると幕末の思想家として嘱望され、農村復興の指導者として貧苦の農民救済に尽力され、やがて功績は世にしられ、尊徳と名乗る武士となります。

人々の尊敬を集めた尊徳翁にあやかり、少年期の二宮金次郎の姿を手本に子供達がしっかり勉強して欲しいという願いが込められた銅像なのです。

尊徳の説いた「報徳」は今も、学問に限らず経済その他の分野で脈々と受け継がれています。

二宮尊徳翁遺訓  
(翁曰く)
・人生まれて学ばざれば生まざると同じ    
・学んで道を知らざれば学ばざると同じ
・知って行うこと能はざれば知らざると同じ 
・ 故に人たるもの必ず学ばざるべからず
・学をなすもの必ず道を知らざるべからず   
・道を知るもの必ず行はざるべからず

 

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思金神社 (神奈川県横浜市栄区)
住所・ 電話

〒247-0013 横浜市栄区上郷町745-1

電話045-895-2411

HP  http://omoikane.or.jp/
アクセス

JR港南台駅より徒歩約20分

お守り

合格お守り 必勝お守り 学業成就お守り 各700円 インターネットでも購入できます。

祈祷

祈祷内容によって変わりますので、事前にご確認下さい

御祭神 八意思金大神(やごころおもいかねおおかみ)・・・智恵の神で、天の岩戸事件や天孫降臨にも大活躍した高天原(たかまのはら)の名参謀長である
紹介

書紀には、思兼(おもいかね)と記されていますが、当神社は古事記に記されている思金神名で呼ばれています。「八意(やごころ)」とはこの神格への尊称である。「思金(兼)」の語は、宣長の「古事記伝」八に「思は万葉三に歌思辞思為師(うたおもひことおもはしし)と云る思ヒにて、思慮なり。金は兼にて、数人(あまたびと)の思慮(おもいはか)る悟りを一(ひとり)の心に兼持てる意なり」一人で兼ね備えているほど頭のいい神様という意味であります。またの名を思金さんとか八意さんともいいます。高天原に初めて現れたのが天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)次に高御産巣日神(たかみむすひかみ)であるが、生成創造の高御産巣日神の児で、ニニギノ命の母は(萬幡豊秋津師比売命-よろずはたとよあきつしひめのみこと)この神の妹という。何と言っても、思金神の名声を上げたのは、須佐之男命の悪行がもとで、天照大神が天之岩戸へお隠れになられた時、高天原では、八百万の神々の会議が開かれ、思金神が議長になって、諸神に指図した。まず常世の長鳴鳥をたくさん集めて鳴かせ、伊斬許理度売命(いしこりどめのみこと)に命じて八咫鏡(やたのかがみ)をつくらせ、玉祖命(たまおやのみこと)には八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)つくらせてこれを大榊の枝に飾り立て、ゆらゆらと揺すり、妙なる音を奏でた。すっかり準備が整うと、天性の美声の持ち主である天児屋根命(あめのこやねのみこと)が、祝詞を面白おかしく声高らかに奏する。布刀玉命(ふとだまのみこと)は榊の前で礼拝する。高天原随一の怪力無双の神・手力男命(たじからおのみこと)による岩戸開門の準備は整った。ここで、天宇受売命(あめのうずめのみこと)の出番、空桶を伏せた上で、踊り狂った為、八百万の神々はドッと笑いこけた。不思議に思った天照大神が、私が岩戸に籠っているのに、何故そんなに笑ってられるのかと問われたところ、あなた様より素晴らしい神がお出になられたのです。と言われたので、岩戸を細めに開けたところ、すかさず手力男命が力を込めて開いた為、再び天照大神が現れた。参謀思金神の筋書き通りに進み、作戦は大成功。
その様なお力のある方がだまされるはずがありません。それは八百万の神々の祈りが岩戸に籠ってられる天照大神様に通じ、真剣な祈り心があってこそ成就するものでなかろうかと思います。
当神社は昭和三年白山神社の拝殿として創建され戦前戦後の風雪に耐え当時の氏子達に守られ昭和四十三年頃より周辺の造成により白山神社に合祀され昭和四十九年思金神社として祀られるようになり今日に到る。

 

 

 

久里浜天神社 (神奈川県三浦市)
住所・ 電話

〒239-0831 神奈川県横須賀市久里浜 5-19-1

TEL 046-835-3703 

HP  http://www.tenjinsha.or.jp/
アクセス

京急久里浜駅より徒歩5分
JR久里浜駅より徒歩10分
詳しくは http://www.tenjinsha.or.jp/koutsuu.htm

お守り

 

祈祷

受験当日合格祈願 初穂料1000円※神社に参列せずに受けられます。

合格祈願祈祷 初穂料5000円 御祈祷のちに 合格守/合格神札/合格絵馬/お礼絵馬/合格はちまき をお受けいただきます。

御祭神 菅原道眞
紹介

久里浜天神社は開国の町、 ペリー上陸の地、 横須賀市久里浜に 350年ほど前の 江戸時代から鎮座する神社です。万治三年(1660) かつて沼地だった 現在の平作川沿いの一帯を 開拓した砂村新左衛門が、 開拓工事の安全と成功を祈るために この地に天神様を勧請しました。

学問の神として有名な菅原道眞公ですが、 現在では聡明な子に育つようにと、 幼児の守り神、または将来頭脳が くもらぬように、さえますようにと、 健康長寿、ぼけ封じの神さまでもあります。

また創祀の歴史にならい、 工事安全、知恵の神としても 厚く信仰されています。

 

 

 

鶴嶺八幡宮 (神奈川県茅ケ崎市)
住所・ 電話

神奈川県茅ヶ崎市浜之郷462
TEL&FAX 0467−82−6725

HP  http://members.jcom.home.ne.jp/tsurumine1030/
アクセス

JR東海道線「茅ヶ崎」駅下車  北口バスターミナル5番線バス停「鶴嶺小学校」バス停より徒歩2分

詳しくは http://members.jcom.home.ne.jp/tsurumine1030/top.html

お守り

合格守・学業守・勝守り 各 500円

祈祷

5000円より

御祭神 應神天皇、仁徳天皇、佐塚大神
(おうじんてんのう、にんとくてんのう、さづかのおおかみ)
紹介

相模の国、茅ヶ崎の総鎮守として往古より八幡信仰の地として名高い。
長元三年九月(1030年)、源頼義は下総の乱を鎮定するため懐島郷(現地)に至り、源家の守護神石清水八幡宮を勧請して戦勝祈願をしました(別に宇佐八幡宮勧請説もあります)。
永承六年(1051年)前九年の役(安倍一族の反乱)が起こり、陸奥守となった頼義の応援に向かった長子、源義家が懐島郷に入り戦勝祈願をしました。前九年の役が終わった康平六年(1063年)、頼義は鎌倉由比郷に鶴岡八幡宮の前身である「元八幡」を建立し、当八幡宮はその旧社であることから「本社八幡宮」といわれました。
歴代源家の信仰も厚く、格別に手厚い保護を受け、懐島を領地とした大庭景能は源家の再興に協力し、将軍となった頼朝に重く用いられました。
弘安四年(1281年)蒙古退散の祈祷があり、この戦に大勝した日が六月閏三十日の晦日だった為「晦日祭」といいました。この「晦日祭」は両社(八幡宮と佐塚明神社)の例祭となりました。
江戸時代、徳川幕府は先規により高七石の朱印地を寄進しています。昭和九年九月十五日に郷社に列格しました。
当八幡宮は源氏が関東へ進出する第一歩として祀った最初の氏神社ではありますが、このことはあまり知られていません。
本社八幡宮の由来こそ源氏の歴史、関東進出の真相を語るものであります。

 

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 千葉

白幡天神社 (千葉県市川市)
住所・ 電話

市川市菅野1-15-2
電話・FAX 047(322)1798

HP  http://www.h4.dion.ne.jp/~sirahata/index1.htm
アクセス

京成八幡駅から徒歩約7分

JR本八幡駅からは徒歩約10分

詳しくは http://www.h4.dion.ne.jp/~sirahata/index1.htm

お守り

 

祈祷

祈祷内容によって変わりますので、事前にご確認下さい

御祭神 武内宿禰(タケノウチノスクネ) 菅原道真公
紹介

 今よりおよそ800年前の治承4年(西暦1180年)に、源頼朝が下総に入った際、当地に源氏の御印である白旗を掲げたことが御社名の由来と伝えられています。その後、天正12年(西暦1584年)正親町天皇の御代に、御本殿再建の記録があります。現在の本殿は明治13年の造営で、拝殿・幣殿は、昭和36年に鈴木義信宮司の下に造営されたものです

学問の神、殖産興業の守護、育児の守神、縁結びの神として御神徳を有せられる。

 

 

大野天満宮 (千葉県市川市)
住所・ 電話

千葉県市川市大野町3-1695-1
電話:047-337-8324 

HP  https://www.honkouji.com/houmu/kigan/goukaku/index
アクセス

詳しくは https://www.honkouji.com/access/index 

お守り

 

祈祷

 

御祭神 菅原道真公
紹介

 本光寺の稲荷堂に「大野天満宮」があり、祭神として「天満大自在天神(菅原道真)」が安置されています。 天神さま、天神さんと親しまれている神道の男性の神様です。 学問の神と言われ、天満宮の名前でも親しまれています。 本光寺の近くに天満天神宮があり、平将門が天慶元年(938年)京都の北野天満宮をこの地に勧請したものであると伝えられています。本光寺の大野天満宮にある菅原道真公の像を描いた掛け軸に、その由来を記したものが残されています。

本光寺古文書には、第19世日正(荘)上人が安永7年(1778年)天神再興、天明5年(1785年)2月より3月まで天神宮屋根替という記録が残されています。また本光寺の近くに大柏小学校があり、そこは市川市内で2番目に古い学校です。小学校の歴史については、明治7年(1874年)に大台小学校として本光寺に開校しました。

本光寺が天満天神宮の別当をつとめたり、本光寺に小学校が開校されたという歴史をみても、「大野天満宮」が学問の神として市川大野の教育を見守ってきたことがわかります。 受験や学業による悩みや迷いにぶつかったとき、心の不安の声を「大野天満宮」に伝え、「大野天満宮」を心のよりどころにしましょう。 心の不安が取り除ければ、自分に自信が出てきて、日常の力を受験で十二分に発揮できるようになるはずです。 「大野天満宮」の守護を頂戴し、成績や偏差値アップ、ひいては試験や受験合格に結びつけるため、本堂で祈願をなされてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 埼玉

秩父神社 (埼玉県秩父市)
住所・ 電話

〒368-0041埼玉県秩父市番場町1-3

電話:0494-22-0262 FAX:0494-24-5596

HP  http://www.chichibu-jinja.or.jp/
アクセス

秩父鉄道秩父駅より徒歩3分
西武秩父線西武秩父駅より徒歩15分

詳しくはこちら http://www.chichibu-jinja.or.jp/access/index.htm

お守り

●北辰乃梟学業 絵馬1,000円  ●智恵梟お守 700円「北辰乃梟」の智恵梟守り。

祈祷

祈祷5000円より

御祭神

八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)

知知夫国彦命(ちちぶひこのみこと)

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

秩父宮雍仁(ちちぶのみややすひとしんのう)

紹介

秩父神社のご創建は、平安初期の典籍『先代旧事紀−国造本紀−』によれば、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っています。
元慶2年(878年)には神階正四位下に進み、延長5年(927年)に編算された『延喜式』にも掲載されるなど、関東でも屈指の古社のひとつに数えられています。また、中世以降は関東武士団の源流、平良文を祖とする秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し、長く秩父妙見宮として隆盛を極めましたが、明治の神仏判然令により秩父神社の旧社名に復しました。
現存するご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されています。また、毎年12月3日に行われる例祭は、「秩父夜祭」として国の重要無形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられています。

 

 

 

氷川神社 (埼玉県北本市)
住所・ 電話

埼玉県北本市高尾7丁目31番地
TEL 048-592-0821
FAX 048-593-1679

HP  http://www.hikawajinja.or.jp/
アクセス

JR北本駅より徒歩

お守り

 

祈祷

直接お問い合わせください

御祭神 素 盞 嗚 尊 (スサノヲノミコト) 氷川様
市 杵 嶋 姫 命 (イチキシマヒメミコト) 弁天様
大 雷 命 (オホイカヅチノミコト) 雷電様
菅 原 道 真 公 (スガハラミチザネコウ) 天神様
誉 田 別 命 (ホムダワケノミコト) 八幡様
大 物 主 命 (オホモノヌシノミコト) 金比羅様
紹介

当社は、平安時代・貞観11年(869)の御創建とつたえられています。素盞嗚尊を主祭神として、6柱の神様をお祀りしています。

 

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川越八幡宮 (埼玉県川越市)

住所・ 電話

埼玉県川越市南通町19-1

TEL:049-222-1396 FAX:049-224-4236

HP  http://kawagoe-hachimangu.net/
アクセス

川越駅東口より徒歩約6分 本川越駅より徒歩約7分 

詳しくは http://kawagoe-hachimangu.net/access.shtml

お守り

 

祈祷

5000円から

御祭神 第十五代天皇の応神天皇
紹介

川越八幡宮は、第68代・後一条天皇の時代の長元3年(1030)に甲斐守源頼信によって創祀されたと伝えられています。
長元元年(1028)、下総国(千葉)の城主前上総介平忠常は朝廷に謀反を企て、安房、上総、下総の3カ国を従わせ、大軍を起こして武蔵国に攻め入りました。この乱は長元の乱と言われ、3年に渡り鎮圧できませんでした。有力武士だった冷泉院判官代甲斐守源頼信が長元3年に平忠常追討の倫旨を賜りました。

源頼信は当地で必勝祈願を行い、敵陣に斬り込んだところ、忠常の軍勢はたちまちに乱れました。そして三日三夜の間、追討してついに乱を平定しました。頼信は神様の御神威に深く感謝して、すぐに当地に八幡神社を創祀しました。これが当社の創建です。

当時このあたりは、豪族河越氏の所領で鎌倉時代、神社後方に河越氏の館がありました。応永32年(1425)には、関東管領足利持氏河越兵庫助の館跡地の半分を当神社に日供料として寄進したといわれています。長禄元年(1457)、川越城が完成しました。築城の名手だった太田道灌は当神社を篤く崇敬し、分霊を川越城内の守護神として奉斎しました。

爾来、川越の歴代城主、城代の崇敬が深く、特に天正18年(1590)以来の城主・酒井氏一族の崇敬はすこぶる篤く、社殿の造営、神田、神宝の寄進が相次ぎました。酒井氏は国替後も崇敬を加え、しばしば改築費、修繕費等を奉納しました。文化9年7月1日(1812)、姫路城主・酒井雅楽頭源朝臣忠衛は御神号「河越八幡宮」(文字は向鳩形)の額と掛物一幅を奉納しました。寛永2年(1625)には、徳川家光公が日光社参の折、酒井備後守忠利が道中安泰の祈願をし、その功により葵紋付祭器具の寄進がありました。



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